センパイ移住者にインタビュー~第一章 ゲストハウス(地域おこし協力隊)編~ ゲストハウス杉の子・桑高 仁志さん

センパイ移住者にインタビュー
ゲストハウス杉の子 桑高 仁志さん
~ 第一章 ゲ ス ト ハ ウ ス 編 ~

DSC_0011 (1).JPG DSC_0039.JPG


-群馬県出身の桑高さんは地域おこし協力隊をきっかけに那賀町を知ったとか
 もともと新潟中越地震の復興支援員を4年ほどしていて、そこで地域づくりに関わっていました。そのときに地域おこし協力隊のアドバイザーをされている徳島大学の田口教授と出会って「地域おこし協力隊」のことを知ったんです。
地域おこし協力隊になると考えてたとき、着任する町は西日本エリアで探していました。知人がいない土地よりも知り合いがいるところがいいなと思って、先に田口さんも徳島に移住されていたので徳島にしようと思いました。実は僕、おばあちゃん子なんですよ。だからなのか田口教授に「桑高くんには那賀町がいいよ!」って勧められて。それで那賀町の協力隊に応募しました。最初は別の地域を考えていたんですけどね(笑)。
活動期間は2013年4月から2016年3月までの3年間でした。

-地域おこし協力隊での3年間はどのような活動をされていましたか
 着任して最初の一年は相生地区でまちづくり団体と一緒に活動をしていました。ただ、もう少し小さな地域単位で活動がしたくて、二年目の平成28年から木沢地区に移りました。
協力隊の活動内容に空家調査も含まれていて、木沢地区は全戸で300軒しかないので、どうせなら挨拶も兼ねて全戸回ろうと思って一ヶ月弱くらいで回りました。

-ゲストハウスの経営は最初から視野に入れての移動でしたか
 地域で何か面白いことをしたいと思ってはいましたが、ゲストハウスをしようとは最初の頃は全く思っていませんでしたね。きっかけは木沢へ赴任して最初の年の夏に都会の大学生の受け入れとしてインターンシップを行ったことです。
『地域づくりインターンの会』という、大学生が在学中に地域の人と出会って、3~4週間の期間地域に入って違う年代の人と地域づくりについて話をするという学生主体の会があるんですね。新潟にいたときにインターンの会の受け入れをしていたこともあり、ノウハウがあったのでそれを木沢でも取り入れることにしたんです。
杉の娘学校(詳細は第二章)に都会の若者を転校生として送り込むっていうコンセプトで、杉の娘学校の設立と平行して企画を考えていました。インターンシップの受け入れをして、杉の娘の学生たちが都会からの転校生に郷土料理を教えてあげたりだとか、その交流のなかで大学生が地域のことについてヒアリングをしたりとか、そういうことができればいいなと。
当時は杉の娘の学生のご自宅を民泊先として提供していただいていたのですが、高齢であることからこれから先ずっと続けていくのは難しいなと思い、受け入れ先の問題が出てきたんです。
だったらそういう寝泊まりする空間を僕が作って、受け入れを地元の方々にサポートしてもらうのがベストかなと思いました。それがゲストハウスの原型ですね。
木沢ではコミュニティが一番大事だと思うので、地元の人が集まれる空間があればいいなと思っていました。みんなが集まることが地域作りの種になると思ったんです。
木沢の岩倉地区に現役で動いている水車があるんですが、それを見て水車のように地域が回っていくことが理想なんだけれど、今は若者がいないとか産業が成り立たないとかいろんなパーツが抜けてしまっていて回っていないんです。じゃあ、その足りないピースを僕が他から集めてくることで木沢で水車を回そうというのが僕のイメージでした。
杉の娘学校の立ち上げや、インターンシップの学生たちとの交流が生まれてきたので、老若男女が学べる学校みたいなものをここでやろうと思ったのがゲストハウスというかたちになっていきましたね。

DSC_0062.JPG

-ゲストハウスをつくると決めてからはどのように活動されたのですか
 木沢に来て半年後の9月頃から、地域づくりインターンの会の学生たちと空き家探しから古民家改修まで一緒に取組み、協力隊最後の1年間で6回学生を受け入れることになるんですが。問題が・・・

-問題とは?
 最初は木沢の中心地区につくりたくて物件を探していたんですが、なかなかなくて。どんどん山間に入ってきて、ここに辿り着きました。しかもこの空き家物件の所有者は町外に住まわれていて、40年もの間空き家だったんです(笑)でも、いざ開けてみたら、桜は綺麗だし田んぼが目の前にあってロケーションが素晴らしかった。

民泊.jpg

-そんな経緯でここにたどり着いたのですね。
 はい。そこから、改修に取り掛かるのですが。
縁側がなかったので縁側造りと、台所と縁側の土間にコンクリートを打ちました。床の補強や張り直し、トイレやお風呂の水回りもやりましたね。もともとお風呂がなかったので、お風呂は外に新たにつくりました。風呂釜も木桶の五右衛門風呂を作ってもらいました。
「作ってもらう」と言うのは簡単ですが、桶作りの技術が必要なんです。しかし、桶職人が見つからない。地域の人に聞いて回ってやっと木沢地区内でつくれる人を見つけてお願いしました。
屋根の張り替えや、家の周りの木々の伐採も地域の人が来てくれて一緒にやりました。電気配線や水道工事も地元の業者さんにお願いしました。
そういう大工さんなどの地元の職人さんと学生が交流することも学生たちにとっては刺激になったみたいです。いぶし銀の職人技を目の当たりにすることは貴重な体験ですから。その当時の学生たちもそれぞれ建築分野に就職してますが、今でも交流が続いていますよ。思いを寄せて協力してくれますし、後輩にも引き継がれていますね。
もちろん、地元の人たちの活力の源にもなったはずです。みなさん生き生きと学生と交流していました。
協力隊っていう活動期間がないと、古民家再生に専念したりすることってできないと思うんですよね。だったら、この期間にいちばん大変な古民家再生に取組んで、学生たちとDIYをしてしまおうと。そうすることで、移住者や古民家再生にアドバイスできる立場になれるし、今後の那賀町の移住交流に役立つだろうと思いました。

DSC_0078.JPG

-ゲストには外国のかたもいらっしゃるようですが
 ゲストハウスを始めた最初の頃は、利用客は身内がほとんどだったのが、二年目の夏にAirbnb(エアビーアンドビー、宿泊施設・民泊を貸し出すウエブサイト)に登録すると外国のお客さんが一気に増えました。そのお客さんからの口コミでさらに外国のお客さんが増えていったんです。今では国内、国外半々くらいの割合ですかね。
外国のお客さんにはベジタリアンやビーガンの人もいます。しかし、そこは当ゲストハウスのシェフ"えみちゃん"が対応して提供してくれています。
姿寿司や季節の料理を提供しているんですが、カタコトの英語ですが食材の説明もしているんですよ(笑)。

-これまでに大変だったことは
 大変なのは台風の時期ですね。ここに来るまでの道が土砂崩れで通れなくなってしまうので。迂回路ももちろんあるけれど、結局どこが崩れるか分からないので、来るときに通れても帰るときには通れなくなってしまうこともあるんです。だから、台風の時期は基本的にはお客様にはこちら側から事前にキャンセルさせてもらうこともあります。あとは冬の時期も峠が凍ってしまうので休業しています。

-新潟復興支援員を経て初めて来る土地、徳島県那賀町での地域おこし協力隊活動。
もともと持っていた繋がりやアイデアを那賀町らしくカスタマイズし活動されてこられたのだと感じました。
協力隊活動において自身が持っているスキルを着任した土地にカスタムできる能力が最も重要なことの一つなのですね。
第二章では、ゲストハウスをするきっかけとなった「杉の娘」についてお伺いします。
お楽しみに。

11DA80B4-9F18-45E4-95C8-C8B4D0829971.jpeg

ゲストハウス杉の子

771-6113

徳島県那賀郡那賀町寺内字18

https://kuwatakared.wixsite.com/suginoko

You Tube 那賀町まち・ひと・しごと戦略課チャンネルにて

ゲストハウス杉の子の360°映像を公開しています。ぜひご覧ください。

その他にも空き家情報(空き家も360°)もUPしています。チャンネル登録をお願いします。

 

カテゴリー

地図

このページの
先頭へ